みなさんこんにちは!NAMIです
今回はベルリン壁や壁にまつわる歴史的価値のある場所へ行ってきたのでそちらの紹介と、東西を分けた、ベルリンの壁や、壁にまつわる場所の歴史など書いていこうと思います。
この記事を読んでもらうと、壁にまつわる歴史などを簡単に知れるので、その場へ行ってもより深く知れると思います。
私自身、現地へ行く際、少し知識を入れたほうが、より深く知ることができました。現地は主にドイツ語、英語もありますが、なかなか理解に難しいところもありますしね💦
East Side Gallery‐イーストサイドギャラリー
壁の一部は今も残っており、現在では、イーストサイドギャラリーとしてベルリンの壁をアーティストたちに開放し、壁に大きく色鮮やかな絵がえがかれています。
その長さは全長1,316mもあり、強固なコンクリートの壁は、1990年、世界21カ国の116名のアーティストによって世界で最も長い屋外ギャラリーとなりました。
ベルリンの壁の最も長く存続しているセクションにある常設の屋外ギャラリーです。
↑ベルリンの壁で一番有名なのはこの壁絵ではないでしょうか?
これは旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東独のホーネッカー書記長のキス画。
みなさんは「ベルリンの壁」自体は何か知っているとは思いますが、その歴史についてはあまり…の方もいますよね😓
歴史を少し知るとより深く絵なども知れるので少しご紹介します
ベルリンの壁とは?‐築かれた壁
1961年から1989年までベルリン市内に存在した壁のことです。
第2次世界大戦にて無条件降伏をしたドイツは、非ナチ化、非軍事化の会談をベルリン郊外のポツダムにて行われました。
このポツダム協定でドイツはイギリス・アメリカ合衆国・フランス・ソ連の戦勝4か国により分割占領され、そして首都ベルリンもこの4か国のそれぞれの管理地区に分割されることが決まりました。
それほどまでに第2次世界大戦でのドイツの力は脅威であり、各ヨーロッパ連合軍はドイツの力を分散したかったのだと思います。
ここからドイツ分断の始まりとなります。
↑この図のように、西側(写真左)はフランス、イギリス、アメリカの3国が治め、東側(写真右)はロシア側が治めました。
ですが、やがでフランス、イギリス、アメリカの3国がロシアと対立、ロシア側は「ベルリン封鎖」事件を起こします。
[box type=”note” align=”” class=”” width=””]「ベルリン封鎖」とは?第二次世界大戦終結後、ロシア側が、西ドイツの西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した事件。 冷戦初期を象徴する出来事。[/box]
この「ベルリン封鎖」により、西ドイツへの生活物資配給などができなくなりました。ですが、それをアメリカの空路作戦により解決。
それによりロシア側が行った「ベルリン封鎖」は失敗します。
やがて、生活物資がたくさん配給される西ドイツへ東ドイツの国民が多く移動することとなり、焦ったロシア側は壁を築き上げます。
それがベルリンの壁の始まりです。
[box type=”shadow” align=”” class=”” width=””]つまりはベルリンの壁とはドイツで起こった、そのほかの国のにらみ合いによりできでしまったものなんです。
[/box]この28年という長い年月の間、多くの家族や友人・知人が不意に引き裂かれました。
そしてこの後、壁を越えて越境しようとした者が次々と射殺されるなどの悲劇が生まれたのです。
チェックポイント・チャーリー/ドイツ内部で他国が冷戦に
チェックポイント・チャーリーは、皆さんなじみのないものだと思います。
チェックポイント・チャーリー同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所だったところです。
東ドイツ民にとっては自由の窓口として、今は冷戦のシンボルとして残っています。
ここで、アメリカ(西ドイツ)とロシア(東ドイツ)が一触即発のにらみ合いが起きました。
チェックポイント・チャーリーで起こった米ソ両軍の対峙は、後に「米ソの最初で最後の直接武力対決の舞台」と言われました。
チェックポイント・チャーリーでは築かれた最初の頃は車で突入での強行突破や、オープンカーなどの車体の低い車でバーをくぐるなどして西側へ行ってしまう東ドイツ民もいたので、のちほどどんどん強化されたそうです。
[box type=”shadow” align=”” class=”” width=””]チェックポイント・チャーリーの名称の意味は特に深くはなく、「検問所・C」のような意味合い
[/box]チェックポイント・チャーリー博物館
チェックポイント・チャーリーのすぐ傍には当時の資料が見れる博物館があります。
↑こちらが入口です。すぐ隣にはお土産屋さんがあります。
[box type=”shadow” align=”” class=”” width=””]チケット料金;€17.50(チケットは今オンラインのみでの販売です。)
オーディオガイドは€5で借りられます。ロッカーは無料で使えるようです。
[/box]BlackBox Cold war
BlackBox Cold warは博物館です。には当時の東西分裂の資料や冷戦の様子など展示されており、ベルリンの壁も一部も外に展示されています。
↑これはBlackBox Cold war博物館の近くの売店に販売されていたものですが、ベルリンの壁、販売されています。
各ベルリンの壁に関したお土産屋さんには壁が販売されており、なんならポストカードにベルリンの壁がついているものもありました。
貴重な壁だと思うのですが、欠片を販売て…いかがなものか😅いずれなくなりそう
イーストサイドギャラリー作品紹介
最後にイーストサイドギャラリーで有名な作品や私個人的に気に入ったものを紹介します!
↑まず驚いたのが、日本の作家さんが描いたもの。「日本への迂回路」
↑ベルリンの壁で唯一立体の作品
↑こちらも人気の作品。2羽のハトがベルリンの壁を運ぶ様子は、自由と平和の象徴のように思えます
↑こちらも人気の作品。車が壁を突き破っています。当時の東ドイツから西ドイツへ強行突破した様子が描かれています
↑先ほど紹介したキスの作品。これは本当に有名なので、見ている人もたくさんいました!
↑これは私個人的に気になった作品。全体的に赤さびのように壁がぬられており、小さい穴からは空が見えます
↑分厚い壁から見えるこの小さい窓、危険を冒しても自由を求めて西ドイツへ渡りたい、そんな東ドイツの方の心情が伝わる作品でした。
まとめ
いかがでしょうか?
ベルリンへ観光へ行かれる方は多くの場所で壁を見つけることだと思います。
私がベルリンの壁を一番最初に知ったのは小学校などの授業ですが、一番興味を持って調べだしたきっかけはHedwig and angly inchです。主人公はもとは東ドイツ出身で、ミュージカルの中の歌でもベルリンの壁について出てきます。
大人になり、壁についてよく調べると、人々の苦しみや国によるいざこざがあり、壁が築かれ、一人のミス発言により壁は壊されました。
長く苦しんだ東と西の壁は平和の証として長く佇んでおり、「自由を求めて」のテーマは長い壁から見ることができます。
皆さんもぜひ、行ってみてください。心を打つ作品ばかりでした。